2014.1.11 人間のいない復興はうまくいかない
連休初日の朝です。寒いですが風は吹いていません。
昨日も少し、岡田港に釣り具を背負った方々が上陸する姿が見えました。
今日は、オキアミ解凍予約の件数も多いので、各磯・堤防はにぎやかになるのではと思います。
ここのところ、地元で働く青年達の釣りデビューが増えているようです。
老人ホーム勤務の方やスーパー勤務の方達です。
リールの扱いや仕掛けの作り方等々、悪戦苦闘して
いるみたいです。
大島に職を求めて移住してくれてありがとうです。
「あじ釣りなんてつまらないから、メジナから覚えろ」と言われても、「アジすらまともに釣れてないのに~」と穏やかな顔で笑って
いた青年がいましたが、そのうちにどんどん覚えて、狩人になって行くのではと思います(笑)
台風災害から3ケ月ということで、成人式取材も入れた報道予定のようで、マスコミ各社の取材が島に入っています。
今日も午後から被災者の会への取材があります。
記者さんも若いので、質問事項や視
点が画一的で、私なんぞはもっと切り込んで、深めて欲しいなあと欲求不満の今日この頃です(笑)
人災も含む自然災害を何度も乗り越えて人々は生活を育んで来たのだと思います。
昔の「山津波」に対
しては、集団移転を首長を先頭に納得の上で決断し、又、自然に対する謙虚さや集落としての結束が核にあって、今の元町地区への移転になったのだと思います。
今は、高齢化・過疎化・経済の衰退・人
口流失の流れの中での局所激甚災害ですから、インフラ的な復興・減災のみでは立ち行かないと思います。
ソフト面での手立てが必要なのは、災害後の各地の状況からわかっているんですから。
岩肌がむき出しになったゾーンに太陽光発電を作り(東北では、塩田になってしまった所に建設した)、ハウス野菜を栽培できないだろうか?
炭焼き小屋を作って、昔の椿や桜の炭はできないだろうか?
災害遺構を自然を感知できるような建造物でない物でつくれないだろうか?
三原山を抱きつつ、そこで就業できて、若い方達が来てくれるようにならないだろうかと夢想します。
利権・地権が絡むと町
作りは困難の極みみたいですが、人間のいない復興は、これまたうまくいったためしがないのも事実です。
都と島の行政が出した「復旧取組の概要」には一様に「ハード・ソフト面から」と書いてありま
すが、観光支援だけとってみても、椿祭り期間の運賃補助と交響楽団派遣の文化・芸術の復興支援の2本柱しか書いてありません。
この夏の海水浴シーズンはどうするのでしょうか?弘法浜や地引浜で泳
いでもらうためには、海底の「災害ゴミ」を撤去せねば、ガラスや材木などで危険です。
東北でも大変な時間を要した作業だったそうです。
先日、京大の先生が被災者の会にロボットを貸してくれるとの
話がありました。
ロボットで下調べをしてから潜ったほうがベターだということでした。
地引浜は遠浅の海です。港外の海底の状況把握をして、海水浴客に自信をもって来てもらわねば、民宿業や土産物
店さんが困ります。
又、夏の利益で設備投資だってやれます。
お金が回って行く流れをつくらねばなりません。
民宿に海水浴目当ての若者や家族連れが泊まってくれたら、宿のおかみさんたちは、化粧品
や服を買います。
莫大な予算が必要なわけではないです。いくらもかかりません。
町・都行政が率先して決断さえしてくれたら、経験のあるダイバーさん達がボランティアでやってくれると言っています。
交通費免除の効果は一時です。透明度のあるいい海水浴場だったとなれば、リピーターになってくれます。
人が集い、就業し生活して町が活きていくんですから、もっと知恵を絞って、未来のために仕事
をせねばなりません。
毎日、店の片隅で、被災者事務局メンバーとこんな話をしています(笑)
笑えるでしょ?