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当店は、
Let's enjoy our lifestyle on OHSHIMA!
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店主 拝

2013.3.27 水曜日 まだまだお腹パンパンのメジナ

花冷えの朝です。

週明けから来島している釣り人の釣果は、「今年のメジナはいいんじゃない?」ということです。日中は1発か2発の中りで、40オーバーが1~2匹。あとは夕方までウンともスンとも・・・・・夕マズメからが大忙し。30cm~40cmが7~10匹で宅急便の重さ(氷抜きで)8kとのこと。

西磯に入れたので、焼き場・マンタテが(年齢的にも?)入り易かったようです。

最近は、メジナをメインにしつつも本命は(心の中は)マダイ?の釣り師も多いように感じます(笑)あわよくばということでしょう(笑)

元町桟橋で竿を出した地元青年はあまりに何も掛からなかったので店に来て「どうなのー?」(自分に問題あり?)と聞いてきました。「ここ2~3日は生命反応なしだよー」と言うと安堵?の表情でした(笑)

まだまだお腹パンパンのメジナです。ゴールデンウィーク前の船チケットが取り易いこの時期の釣行計画もいいかもです。

お店には、青物用のジグを買いにみえる方が増えて来ました。「青物狙いの準備?」と聞くと「いつ来るかわからないから、用意しておこうかと思って」とのこと。

4月に入ると、新転入者(公務員や老人ホーム・障害者施設の職員など)も島での生活の下見ということで店に来ます。言っちゃあ悪いけど、代々おまわりさんは竿を引き継ぐみたいで・・・・それが底物の竿なんですよねえ。しかもかなりの年代物で、竿がカサカサと音が出るようなシロモノ?です。

それで鯵からメジナからイサキからイカまで釣ろうとするから、無謀というか疲れるだけです(別に店として竿を売りたいということではないですが)。代々の前任者に義理を立てるのはいいんですが、限度というものがあると思うのですがよけいなお世話でしょうか?

お医者さんは、磯で竿を出すのは難しいんだそうです。特に東磯には行けないんだとか。いつでも病院から呼び戻されてもいいように近場の桟橋でないとダメということらしいです。各々、職業によって釣りのスタイルも違うようです。


先日、ベトナムからの朝帰りに、乗船まで時間があったので、八重洲口のJINZでメガネを作ろうと思いました。1月に作ったばかりだったんですが、シニア用を買ったらどうも人間違いをされちゃうんですよねえ。この狭い島で何度も別のおばさんと間違えられるんで、若者仕様の黒縁にしました!(これでどーだ!という感じです)

JINZがオープンするまで待っていたら、銅像が目に止まりました。八重洲の命名の理由が書いてありました。オランダ人のヤン・ヨーステンの像でした。江戸時代に日本に漂着して徳川家康の国際情勢顧問兼通訳として使われて邸を与えられたのだそうです。和名「耶楊子」(やようす)。日本の女性を妻にして、後に遭難死してしまうのですが、彼の名が八重洲になったのだとのこと。

フーンなるほどと。よく釣り人に、磯場の名前の由来を調べて書いてよと言われます。
伝聞を真に受けて書いてしまうと間違いがあるので、調べないといけないし・・・・・。弘法浜は弘法大師からきているのはわかるし、泉津の大島公園の行者窟は修行した場所だと聞いていますが、はたして実際に弘法大師が大島を訪れたのかも史料があればですが・・・・・。

お寺も火事で消失したり、第二次大戦の敗戦処理で焼き捨てたということもあって、確たる証拠がないと問題ですよねえ。野田浜の焼き場は、死体を焼いた所なんだと思います。私が中学位までは、元町のお墓は長根浜あたりにありました。御神火温泉の近辺ですよね。

泉津の鉄砲場は黒船来襲に対する東京湾のお台場と同じようなものだと思います。ジェット船で竹芝の近くを通るとお台場が見えますが、あそこは元々浅瀬の所で、幕府が諸大名を動員して土砂を運びいれて鉄砲場を急遽作ったとのことですが・・・船で居眠りこいていてあの鉄砲場が見えてくると、ああ、下船だと思いますもん。昔の人は重機もないのに、人力で苦労したんだろうなあと想いを馳せます。

語呂合わせ的な場所の命名もありますが、今朝のニュースでは、教科書検定でこれまでの源頼朝や足利尊氏の肖像画が間違っていたからと直されましたよねえ。わからないもんですね。

磯の名の由来について、八重洲口の命名から気になりはじめましたあ(笑)又、書いてみます。