2012.11.13 火曜日 くさやのルーツ
昨日・今日と西風が強いです。先週末の釣り人の釣果はあまり良くなかったようです。
赤岩は、大きな亀が何匹もいてダメだったそうです。他の磯のメジナもサイズがあまりいかなかったようです。
東京からのお客さんが「最近、ダンナは釣りに行ってないの?」と聞かれました。春夏秋冬が更新されていないからですよね。しばらく江戸に行っていて、風邪をこじらせてめげていました(笑)
昨日は、釣りに出かけましたから更新されると思います。
今日はサバの調理に私はまい進します。
岡田桟橋の鯵も大漁で、皆さんどうやってその量を食しているんでしょうか? とても刺身オンリーでは食べきれないでしょうから、ひものにでもして冷凍保存しているのでしょうか。つみれにして鍋を楽しんでいるのでしょうか。年金暮らしのお年寄りにとっては、ご近所におすそ分けもできるし、その鯵と明日葉のおひたしでもあれば、栄養バッチリで生活の糧にもなりますし(笑)
保存食でもあり発酵食品でもある「くさや」の元々の原姿はどこから生まれたのかと・・
くさや・・・・「日本書紀」に出ている「ミサゴずし」ではないかといういうことです。ミサゴという海鷹が魚類を捕って来ては食べ、その残りを岩陰に隠しておくんだそうです。これに海水がかかり自然発酵したものを見つけて、人間も食べるようになったとか。
昔、源為朝が大島に流された時に、この「ミサゴずし」を賞味した事が、宝井馬琴の小説に出てくるらしい。このミサゴずしが変遷して、くさやの臭いと味に再生されたのではないかとの説です。
万年水不足にある大島の昔人の知恵で、「水塩」を使ってひものを作って政府に上納した後で、高価な塩と水がもったいないので、継ぎ足し継ぎ足しして、自家用に魚をひものにしていったみたいです。それが発酵してうま味を出し、門外不出の漬け汁となり、江戸でも好まれるようになっていったということです。これが「くさや」のルーツみたいです。
私の家にも、新島から運んできたウン百年物のくさやの汁があって、東京からの常連釣り人が、たかべのくさやを作って食べていましたが、数釣りをする父が亡くなってから、母が廃棄してしまいました。毎回、釣行の帰りに常連さん達は、出航時間まで「居酒屋・丸市」で、くさやとお新香で一杯やって行くのが習慣です(笑)
岡田桟橋は、まだイナダ・ワラサも来ているそうです。アカハタもあがり混んでいるようです。
今日は、風も強いですが、めげずに竿を出しているみたいです(笑)