2012.10.30 火曜日 何故に大物を狙うのだろうか?
水温19度。岡田桟橋では、午前0時から場所取りをしてワラサ釣りのスタンバイをしているそうです。午前1時では、堤防の付け根の場所取りになってしまうとか。いやはや恐れ入ります。
今朝は鯵の生き餌で、大きなヒラメもあがったそうです。そういうのを見せつけられてしまうと、
「明日は出遅れないで、午前0時に入るぞ!」
と燃えてしまうんですね。
週末に、磯に入ったお客さんも
「自己最高の46cmのメジナをあげた。」
と言ってました。フエフキはタモに入らなくてギブアップしたとか。
「もうちょっとで、海に引きずり込まれるところだった」
とよく武勇伝を聞かされますが(笑) 何故に大物に惹かれるのでしょうか?
私なんか、俗物的で即物的な人間だから、鯛なら3キロ迄が美味しいなとか、ヒラスズキは70cm迄が美味しいなとか考えてしまうのですが。
■大物釣り・・・開高健とヘミングウェイ
大物狙いといって頭に浮かぶのが、開高健とヘミングウェイです。(悪いけど、女子としては、松方弘樹じゃないいんですよね)
この二人も釣りや狩猟に駆り立てられ、カジキやイトウでしたよね。このはまり方がふつーじゃないですよね。
まったくの私の想像と決めつけですが、この二人の目は深い孤独と極限のものをみてしまった、経験してしまったという目だと感じるんです。
開高健はベトナム戦争に従軍記者として、ヘミングウェイはスペイン内戦と、この時の写真を見ると、当たり前だけども、ホント暗く憂いの目をしていますよね。
戦争という極限の人間どうしの殺し合いの場にいた二人が、どうして、大魚を追うようになっていくのか、そこにロマンがあるのか? いやいやなんか、精神のバランスをとり人間を取り戻すリハビリなのか、魚とのやり取りにあらん限りの体力を使って消耗し、疲れ果てて精神を無にすることに救いを求めたんではないかと。
大魚を獲る、人間ではなく魚と必死のやり取りをする中で、何も考えず、ただただ精神が無になっていくのを求めたのではないかと思うんですよね。(想像し過ぎですかねえ)
開高健は癌死でしたが、ヘミングウェイは猟銃自殺でした。
■キューバの旅とヘミングウェイの別荘
以前、キューバのヘミングウェイの別荘に行ったことがあります。
ヘミングウェイの別荘
2度の飛行機事故の後遺症によるうつが原因の自殺といわれていますが、その別荘のある海の見える広大な敷地の中に立つと、「ああ、ここならこのまま死んでもいいな」と俗人の私でも思っちゃいました。
なんとも言えない静寂と自然の中にいると、ヘミングウェイじゃないけど、「もう自分は充分に人生を楽しんだ」と終えたいと。
ヘミングウェイ行きつけのレストランバー
パパダイキリ
別荘の中はカメラ禁止でしたが、カジキを釣ったであろう大きなルアーや鹿の剥製、たくさんの書籍がありました。
ヘミングウェイ行きつけのハバナ市内のレストランバーで、パパダイキリが美味しくて何度も通っちゃいましたよ。ヘミングウェイの椅子に座れませんでしたが。
キューバに半月近くいましたが、1950年代の建物やアメ車やサルサの音楽がなんとも居心地がいいんですよねえ。
大島の桟橋の大物釣り人の喧騒から、随分と遠く離れたキューバの話になってしまいました。(笑)
釣りは人生まで語れちゃうほど、深ーい深ーいものなんでしょうか?(笑)