■POLICY
当店は、
Let's enjoy our lifestyle on OHSHIMA!
をモットーとし、大島での磯釣りを楽しむお客様のお手伝いを通して、お客様に快適なFishing Lifeを堪能していただくことを願い、日々営業をしている釣具店です。
お客様の快適なFishing Lifeのため、当店が少しでもお役に立てたなら幸いに存じます。
店主 拝

2012.10.26 金曜日 大島と食文化


水温は、19・5度になりました。まだまだ高いですね。

民宿のご主人は、「鯵を100匹揚げた」「いくらでも釣れるよ」と。
そういえば最近、女性客が、コマセやバケを買いに来るようになりました。

飲食店を経営している方みたいです。鯵は、たたき・なめろう・ソテー・フライ・つみれ鍋等々、いくらでもレシピがありますからね。

鰯も高級魚になってきましたし、鯵もそこそこの値段がしますものね。
イサキも池袋のデパートで、1700円で販売しているのを見た事がありました。

■鰹のなまり節
50年位前までは、波浮港の近くで鰹節を作っているのを目にしていました。臭いと自分の頭よりも高い網のうえに干した鰹を眺めていた事が映像になって巡ります(笑)。

小さい頃、よく食卓に、千切りキャベツの上に鰹のなまり節が乗っているのが出ていました。まだマヨネーズはなかったと思います。醤油をかけて食べていたと思います。(まだ、コーラも入ってきていなくて、粉末ワタナベジュースの素を水で溶かして飲んでいた時代です。日清チキンラーメンもまだ世に出ていないです。)

大島では、昭和初期までは、サンマ・マグロ・カツオがよく獲れていたようです。
そのなごりでしょうか、今でもサンマを島外から取り寄せて加工し、丸干しとして売っています。

■イルカ・鯨
江戸末期までは、イルカや鯨も獲っていたようです。
たまに、イルカ肉?がスーパーに並びますが、「これ、どうやって食べるの?」と聞くと「古根を入れて煮て食べればいいよ」と私よりももっとおばんが勧めるので、昔はふつーだったんでしょう(笑)

鯨肉は、南蛮や竜田揚げで40年位前に、よく食べていました。むしろ馬肉は渋谷の専門店に行かなければ食べられなかったし(笑)

とまれ、地球温暖化期で、魚種・漁獲高がどんどん変わっていきますが、それと共に、人間の食生活・食文化も変化を余儀なくされている訳ですから、いろんな意味でスマートに生きなければなりませんね。

昔の大島は、噴火・降灰・津波などの自然災害や、江戸幕府の5民5公などにより、慢性的な食料不足・飢餓状態にあったのですから、海からのめぐみへの感謝は、その歴史的な経験からして、人一倍あってしかるべきですよね。

■サツマイモ
ここのところ、サツマイモをよく持って来てもらいますが、この山のめぐみとて、享保年代からの貴重な食料で、島民にとって命綱だったんですよね。今でこそ、胸が焼けるのなんのって、進んでは食べなくなりましたが、保存もきくし、3・11の大震災を教訓にして、備蓄してもいいくらいかも。

八代将軍吉宗が、大島へのさつま芋や草木の種苗を交付して奨励したらしいです。
やっぱ、人間は食する物がなくなれば、理性を失い、動物的にはなるし。徳川時代が、長く続いた一つの要因が、食かもしれません。

■ずいき
里芋の茎(ずいき)も、私は10年前に初めて知りましたが、その時の感想は「島はずいぶんと、貧しかったんだな」です。こんな物まで食べるのかと。(東北の郷土料理にはあるそうですが)色が紫に出るので、東京から友人が来た時に煮物で出しますが。(まあ、他から見れば牛蒡だって、木の根を食べているみたいに見えますもんね)
ちなみに中国人は、牛蒡からスープは摂るけども食べないんだって(笑)

ホント・・・・・私のつぶやきは・・・・・どんどん・・・・飛んで行ってしまうー・・・・・・・・。

さっき、店に来たお客さんが「昨日の夜釣りは大漁。大型イサキと40オーバーのメジナが3匹」「毎夜、釣っているけど、少しは加減して、資源を確保しなきゃいけないな」だって。
そう言いつつ、エサを買って行ったけど(笑)