大島の磯釣りについて多くの人々に知ってもらいたいと思い、今回の企画を考えました。
何よりも私自身が大島の磯釣りの歴史を知りたいということが一番の思いです。残念ながら私が語ることができる大島の磯釣りの歴史は、十数年の短いものでしかありません。
そこで、私が語ることができないそれ以前の歴史を、島の釣り人の方々に語ってもらうことによって、大島の磯釣りの歴史を明らかにしていこうというのがこの企画の狙いです。
記念すべき島の釣り人に聞く!第一回は、濱口一人さんにお話をお聞きしました。
(聞き手:丸市おやじ)
大島生まれの子どもならば一度は何らかの形で釣りをしている。濱口さんもご多分に洩れることなく、アジ釣りなどは子どもの頃から馴染んでいたそうだ。ただ本格的な磯釣りを始めたのは、18歳頃とのこと。少し意外な気がした。
---プロフィール---
濱口一人(はまぐちかずひと)さん
1957年大島生まれ。18歳頃から本格的に大島での磯釣を始める。イシダイ釣りを皮切りに、様々なターゲットに目標を定めクリアを果たしていく。磯からのルアー釣りで61㎏のクロマグロを釣り上げたことで知らないものはいないほどの大島屈指の釣り人である。
(株)濱口建設社長。現在の目標は船釣りで300㎏超のマグロを釣り上げること。
――それではよろしくお願いします。最初に、本格的に釣りを始めたきっかけからお話をお聞かせください。
オヤジの影響で、イシダイ・ブダイから始まったね。オヤジはねちょっと実績がある人で、若いころから釣りのガイドなんかをしていた。全磯連でね。クラブなんかも作っていたんだよね。ただ、俺はオヤジがやっているときにはあんまり興味がなかったんだけど、自分で行ってみたらこういうものなんだと・・・。
――その頃の磯釣りというと、やっぱりメジナじゃなくイシダイっていう感じだったんでしょうか?
そう、イシダイ。釣師っていえばイシダイ、上物よりね。メジナもやっていたけど、メインじゃなかったね。
――当時のメジナっていえば、デカかったって(笑)聞きます。今のササヨみたいな感じで。(笑)
デカかったね。2㎏、3㎏とか。そんなのがざらだったね。
――それは今でいうところのクチブトですか?
いや、オナガだったね。クチブトもいたけど、そこまで大きくなかった。メインはオナガだったね。それも、釣るとなると20~30㎏釣って来るんだから。(笑)小っちゃいのは逃がしてそれだからね。
イシダイ釣りについて
――それでは、メジナ釣りについてはひとまず置いておいて(笑)、イシダイ釣りについて聞かせてください。まず、場所はどこへ行かれることが多かったんですか?
その当時は、裏磯(島の東磯)がメインだったね。西磯なら千波のヒラトコかな。
――釣り初めてどのくらいの期間でイシダイを釣り上げたんですか?
最初の一尾は釣り初めて半年ぐらいで釣れたんだよね。釣れ始めたら4~5㎏ぐらいのやつがボコボコ釣れたんだけど、しばらくして釣れなくなって。それが今度は、釣れない釣りが趣味みたいになってね。(笑)イシダイってそうじゃない。凝って来たら釣れなくなってきた。
――エサはサザエですか?それとも?
サザエだね。買って来たり取ってきたりしたのを水槽で生かして置いて、毎日2個ずつ持って仕事の前に釣りに行っていたね。そういときはヒラトコで、休みのときはバイクで裏磯へ行った。
――裏磯でお気に入りの場所ってあったんですか?
泉津境だね。小屋下(団子岩)なんかにも行ったけど。良く行ったのは泉津境だな。
――あそこは足場が高いじゃないですか。タカマキとか落としアミとかがないと取り込めないですよね?
タカマキだね。イシダイのときはタカマキで、上物なんかのときは落としアミだったね。
――そうしたものもご自分で作られたんですか?
作って。
――何でも作られちゃうんですね。(笑)すごいですね。ところで、その頃のイシダイ竿はどんなものでしたか?
最初の頃はグラスの重いやつだったけど、ちょうどカーボンロッドの出始めの頃で良くなって来たよね。
――釣り方はやはり遠投釣りだったんですか?
遠投。
――昔から遠投だったんですか?
遠投。千波だけだね、ボッチャンでやるのは。あとはほとんど遠投だったね。桟橋周り以外は。
――そうするとリールは遠投に適したものじゃないとダメですよね?どんなリールを使っていたんでしょうか?
ペンのリールだったね、使っていたのは。サーフマスターとかジグマスターとかって言ったかな。とにかくペンが主流。
――当時釣ったイシダイの写真とか、魚拓とかってありますか?
ないねぇ。あの当時は4~5㎏じゃ、眼中に入れてもらえなかったからね。(笑)まぁ、大会は別だったみたいだけど。だから、とってないんだよな。
――イシダイと呼ばれるためには昔から一貫目=3.75㎏以上とはいいますけど、4~5㎏では当時の大島では大したものじゃないと言われちゃうんですね。(笑)
今なら大騒ぎかもだけど。4㎏台じゃあね。当時は7~8㎏、8㎏台は当時もあまり聞いたことがなかったけど、7㎏台が記録を競う所じゃなかったかな?
――7㎏台っていうと、長さにするとどれぐらいになるんですかね?
どうだろう?やっぱり70㎝以上あるんじゃないかな?釣ったことないけどね。
――濱口さんのイシダイの記録は?
5㎏弱だったね。それで、あんまり釣れなくなって、そのうち磯で竿を出せば納得するみたいな世界になって来て。(笑)
――それは良くわかります。(笑)私は釣りの素人だったので、お客さんに認めてもらうためにはイシダイを釣るしかないって思い込んで、イシダイを狙ったんですが簡単に釣れるもんじゃないじゃないですか。とにかくイシダイ釣りというよりウツボとの闘いで、(笑)しまいにはタバコを喫いに行っているんじゃないかって錯覚してしまうぐらいで。自分には釣れない魚じゃないかって落ち込んでしまいましたから。
竿出しているだけで納得しちゃうぐらいになって行くでしょ?(笑)
――タバコを喫いながら、竿先を眺めているっていうのがイシダイ釣りって感じになっちゃいましたね。(笑)
なっちゃうんだよね。(笑)納得するんだよね、竿を出すだけでね。
――ところで、イシダイ釣りの仕掛けですが、どういった仕掛けだったんでしょうか?
俺らはねぇー、オヤジから教わった“本仕掛け”ばっかりだったね。中通しの錘をワイヤーに通してある程度の遊動部分を作って、カミツブシの錘で止まるようにして置いてハリを直接そのワイヤーに結ぶっていうものだった。根掛かりしても外しやすいようにね。
――錘はどのぐらいの大きさのものを使っていたんでしょうか?
だいたい45~50号のものを使っていたね。ちょっと潮が早ければ50号にして。ワイヤーは36番ぐらいを使っていた。
――その後イシダイ釣りはどのくらい続いたんでしょうか?
20歳~24歳ぐらいの間、3~4年東京にいたから東京に出るまでってことだね。たまに帰って来たときに、イシダイ釣りにはいったけどね。
*丸市コメント*
当時の大島では、4~5㎏のイシダイは相手にされなかったっていう話は、ショックでした。私が苦労に苦労を重ねてようやく釣った、あのイシダイは一体何だったんでしょうか?それでも、イシダイを釣ったときの嬉しさは忘れられない思い出です。
あの日は、朝の第一投が錘だけ飛んで行ってしまうという、波乱の幕開けでした。気を取り直して、実質的第一投をやり直して仕掛けが安定したところで置き竿に。
しばらくすると、竿先にかすかな変化が。このころの私は、魚より先に完全にスレテいたので、どうせウツボだろうって具合に斜に構えるようになっていました。
ところがこの日はなぜか、直ぐに石突きの近くにまで寄って行き竿先を注視していました。すると、竿先が夢にまで見たあの三段引きをするではないですか!最後には竿先が見事に海中に突っ込んで!
そのあとはもう、無我夢中になって竿を手に取り、渾身の力で合わせを入れて必死にリールを巻いていました。途中、情けないことに何度かよろめいてしまったことはよく覚えています。どれぐらいの時間が掛かったのかは覚えていませんが、イシダイの姿が見えたときは嬉しいのと、バレないでほしいという気持ちで混乱していました。
タモ入れももたつきましたが何とか成功し、タイドプールにイシダイを入れた瞬間快哉を挙げていました。それほど嬉しかったのに、当時はアウト・オブ・眼中だったとは・・・。
ちなみに私が釣り上げたイシダイは、4.8㎏です。